Tomo

超有名進学校→関西トップ私大→大手企業という絵に描いたようなアラサーリーマン。東京在住。 ありのまま思ったことを、僕の脳みその中を記録として書き留めます。金銭全く興味なし、困ってもない為、ゼロ忖度で、真実を本音だけを記載していきます。コメント等頂ける方は皆大事にします。

この時期だからこそ少し戦争について考えようよ

 昨日8月15日は終戦記念日だった。僕たちに日本人にとってはこのお盆の終わり、関西人にとっては京都の大文字焼き、子供にとっては夏休み、そういった少しノスタルジックな季節にあるこの終戦記念日という日。

 僕たち平成生まれの人間は、第2次世界大戦を知る祖父母を持つ最後の世代である。

なので個人的に大戦について伝え聞いた話と、そこから考える僕の戦争に対する認識を述べたいと思う。

 戦争について初めて記憶に残る形で話を聞いたのは、小学校の時に広島に行った修学旅行での話だ。内容はうる覚えだが、ぴかっと一瞬光った瞬間、次の瞬間には焼野原だったという鮮烈な記憶を話してくれたことを覚えている。そして何より強烈に僕が記憶に残っているのは、その話者が言った、今日は夜眠れないだろう、と最後に言った言葉だった。当時恐らく70代ぐらいのその人は、その日に記憶を思い出し僕たちに話してくれたが、そのせいでその日は眠れない程、それ程の出来事だったという事。

 次に僕のおばあちゃん、大阪から疎開して田舎へ逃げのびはしたが、当時は食べるものが全くなく、ニキビができる人等いないかったと言っていた。だからか今でもずっと物を粗末に扱わない、ボロボロになるまで使い切る。そういった背景があったからだろう。おじいちゃんは戦争に行きたくないから死に物狂いで勉強をして、造船をする仕事についたと聞いている。

 また、小学校の時に通った書道教室のおじいちゃんに、戦争で死にかけたことある?、ときいたら、田んぼ道で戦闘機から銃を撃たれたが、奇跡的に目の前で全てはずれて生き延びた、と言っていた。ぞっとする経験。

 最後に、僕が留学先のアメリカで、ちょうどその時が8月15日だった為、当時65歳ぐらいのホストファーザーに、今日は日本では終戦記念日なんだけど知ってる?、と聞いたら、知らなかったよ戦争が始まった日なら覚えているけど、と言った。そう日本人は戦争が終わった日を意識するが、彼は戦争が開始したパールハーバーの日を意識していた。

 振り返ると僕の人生の中で、そういった直接話を聞いた戦争についての話がある。こういった話を直接聞ける最後になるだろう今の若者が、戦争を直接体験していない若者が、どういった思考で戦争を考えているのかを次に述べていきたい。

 僕らが聞けるこういった伝え聞いた話や、本で学ぶ歴史、歴史をかみ砕いて先生から聞いた解説から色々な事を知ることは出来るし、ある意味正しく当時の状況を理解できる。むしろ当時の人よりも冷静に歴史を知り理解することが出来る。正し、全て実体験ではない。以前に僕が述べたように、人は自分で体験した以外の出来事は、それまでの自分の経験+想像力によって、疑似体験もしくは脳で理解するという事までしか出来ない。よく戦争など2度と起こしていけない、や当時の日本は狂っていた、~国が悪い、ナチスは~だ、等と当時の事を冷静な状態で分析した結果、平和な安全な状況下で人は判断し認識している人が多い。でも実際本当に当時の状況下で、同じ人物の地位で、当時の空気を吸った上で意識したらどうだろうか。あくまで想像力という想像でしか追いつきはしないが、当時の人が誤りだったと断言できるだろうか?人間そんなに大きく中身や思考が変わる訳はなし、もちろん当たり前のように死にたくないし、戦火に巻き込まれたくないし、今のように平和に日々を暮らせればいいなんて、当たり前に思っていたはず。にも拘わらず、戦争に走らざるを得ない状況、空気感だったという事を慮れば、誰も誤っていなかったと僕は思う。

じゃあこの先の未来、人々が懸念することは一つ、この戦争の体験をリアルで持っていた人、そしてその人から直接聞けた人、次からは紙面のみから情報としてのみ戦争をしる人、へと戦争体験という情報の伝わり方が変化していくということにある。リアルに人から聞く話と、情報を取るだけの伝達とでの差異は、想像力をよりリアルにすることが出来るか、という点にあると思う。実体験があるが最上位の情報のインプット方法だとすれば、そして紙面の情報のみになると、疑似体験をすること、要は想像して脳でそれを思い描き深く心の奥底に記憶が残る、ということが薄くなるように僕は思う。だからこそ、これからはよりそういった歴史に関する映画や小説、ドキュメンタリー等、より実体験に近い形での伝聞がされるべきだし、教育によって、正しくそういった情報を子供たちに伝えていく事に対して、これまで以上に熱心に取り組まなければならない。

痛みを知らない人々に、本当の痛みを言葉だけで体験させることは出来ない。それを前提として上で、戦争を知らない人が送ってきた人生の中と、その人が持つ想像力によって、痛みは体験できなくとも、少なくとも痛みを感じるというレベルにまで持っていければ、この先も平和的な解決によって、世界が進んでいくと信じたい。

 

Leningrad

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