Tomo

超有名進学校→関西トップ私大→大手企業という絵に描いたようなアラサーリーマン。東京在住。 ありのまま思ったことを、僕の脳みその中を記録として書き留めます。金銭全く興味なし、困ってもない為、ゼロ忖度で、真実を本音だけを記載していきます。コメント等頂ける方は皆大事にします。

どこまで自分を客観視できるのか?

 若いころから大人になるにつれて感じることは、視野がどんどん大きくなっているということだ。それは色々な人に会ったり、色々な所に行ったり、仕事をしたりして、様々な人生経験を積んだ上で、脳に蓄積される情報量が単純に年々多くなっていっているからだと思う。その結果、若い時の自分の行動や、当時の自分を振り返ると、どこかあの時の自分はもやもやした世界にいて、今考えると色々な解決策やマインドの持って行き方、より広い視野で見ることが出来て、それは年を重ねるごとにもやもやしていた雲が晴れ渡っていくような、そういった視野の大きさを感じている。

 そういった経験は様々な場面で遭遇することなのが、頻度として多い場面は、また若いころから今にかけて視野が広くなった部分としては、自分を客観視できるようになったということだ。そして自分を客観視できるようになるからこそ、相手の目線にたち、相手の気持ちを思い配る回数が格段に昔に比べてました気がしている。

 人は得てして、皆自分が人生の主人公として生まれて生き進めていく。自分から見える世界が全てであり、自分の思考こそが唯一無二の絶対的な世界と思って生きている。ただし、君が一歩外の世界に飛び出た瞬間から、君以外の人は皆各自の世界での主人公としてそこに存在しているということ。世界とはそういった個人個人の集まりによって構成されているのだ。

 そういう当たり前の事を年を重ねるごとに再認識し続け、再認識させられる場面に立ち向かい続けて、そんな中でどんどんどんどん自分を客観視してみれていくようになってくる。その視野の大きさ、もっと言えばこの世界を把握できる能力は年々高まっていくという事だと思う。

 この自分を客観視する、世界の一部だと認識するという力をしっかりと身に着けることで、人生経験が浅い人間との差別化につながり、それは俗にいう人間力につながるものだと僕は思う。

 

自分と合う異性の見つけ方

 先日とある飲み会で、僕・親友・親友の彼女・その彼女の友達という4名で飲み会をした。その時、ある事を発見した。自分に合う異性の見つけ方に気が付いた。

 僕はその親友と呼べる奴と一緒に住んだこともあるし、会社に入ってからずっと友達だ。かれこれ6年一緒にいるし今後も続くであろうこの友達関係は変わらないと思う。

 そうそんな友達の彼女だが、まあ僕との共通点が多い。根本的な人としての思考回路や、行動規範、しゃべる内容や雰囲気、その友人との話す感じや関係性も僕と友人の関係に非常に近しいものを感じた。

 そこで気づいたのは、僕と親しい友人達の彼女は皆、ある共通点があり、それはある種僕自身の価値観や人柄と共通している部分があった、ということだ。僕と長い間長く一緒に遊んでいられるということは、当然その彼女も多少なりとも僕の要素があるのは考えると至極当然のことではある。僕は親しい友人との関係性を僕自身常に嘘偽りのない関係でやっている、僕の本当の素の状態をひけらかした上でも長い事友人関係が続いている人達である。そいつらの彼女はやはりどこかしら僕が持っているものを持っているのだ。

 そうなると、僕に一番似合う女性の理想像は、僕の親しい友人達の公約数の上にあるということになる。

 僕の親しい友人を並べてみると、確かにある共通点があり、そしてその彼女たちを並べてもある共通点があった。であれば僕は僕の友人達の公約数を見つけて、それに見合った女性がいればきっとうまくいくことが分かったのだ。

 つまり、一番自分に合った異性の見つけ方はずばり、親友の彼女の友達ということになる。

 どういうことかというと、僕の親友と気が合う女性→その女性は僕と共通点を持っているはず→なのでその女性の友人関係は僕の友人関係にも近しいはず→よって僕の親友の彼女の友人は何かしら僕の親友との共通点がある→結論、親友の彼女の友達は僕と気が合う可能性が高い。というのがロジックだ。

 

 

好きなタイプは何ですか?

 合コンや恋愛市場においてよく聞かれるフレーズで、好きなタイプってどんなんですか~、というのがある。一度は誰しも聞かれたことがあるだろうし、それとない解答を持っていたり、何だその質問?可愛い人!とか適当に受け答えをしていたことだろう。

 最近少し真剣に好きなタイプは何?という質問に対する解答を考えていてある事を思ったので書き留めておきたい。

 まず初めに一般的には最初に好きなタイプは?と聞かれて頭に描くのは容姿だ。可愛い人、じゃあどういう風に可愛い人?と思考していき、そして次に中身の話になる。しっかりしてる人・まじめな人、という風な感じで展開され、そこから抽象的な中身論になる。この質問を相手がしてくる意図は恐らく、今私が持っているものがその人の好きな人像に当てはまるポイントがあるかどうか、を気にしている為だろう。もしそうだとしたら、その人に気に入られたいならその人の容姿や中身に合うような返答をほのめかすという小手先のテクニックはある。

 ただ僕はこの自分が異性に求める条件、つまり好きな人のタイプに関してもう少し掘り下げたかった。

 本題に入ると、真の意味で相手に求めるものは当然中身、というより相手の価値観及び思考方法にあるのは間違いない。慣用句的にやっぱり中身だよね~はあまりに抽象的だ。僕が思う相手の中身とは、第1フェーズが外交上の中身だ。対人の世界におけるその人の性格がまず第1フェーズとしてあり、そこが例えばさばさばしていたり、社交的だったり、ずばずば本音を言う人だったり、立ち振る舞いが優しかったり、という部分。そして第2フェーズがその人の思考や人生観・価値観だ。この第2フェーズを真の意味では中身だと僕は思っているが、ここでその人を早かれ遅かれ判断していくことになる。そしてこの人の芯の部分は数回会って分かるものでも、その場でわかるものでもない為、好きなタイプは?という質問が投げかけられる場面では掘り下げられない部分だ。

 ではその異性に求める真の意味での中身には人は何を求めるのだろうか?個人的にはそこには尊敬というものが入ると思っている。そうつまり、相手の中身=人生観・価値観を尊敬できるかどうかということが、好きなタイプのセンターピンだと僕は思う。

 相手の人生観・価値観で大事にしているものが、自分が大事にしていたり、その考えに共感出来たり好きだったり、憧れていたりする場合に、人はその人の中身に惚れて、好きになっていくと僕は思っている。

 まあ端的に言えば、共通の大事にしている価値観を持っていること、とまとめられるのだが、もちろん大前提として顔というのはあるよ。その顔はもちろんめちゃくちゃ可愛いとかそういうのではないし、人それぞれタイプというものがあるけど、少なくともその人にとってブスというカテゴリーに入らなければよい。

 結論、好きなタイプは?と聞かれた場合は①その場で好印象を持たせたければ相手の容姿や当てはまりそうな中身を答える②深く確認したい場合が、自分の好きな人生観・価値観を答え、相手のそれも確認する、という回答になる。

 

 

積んでるエンジン。君のエンジンは何馬力?

 燃え尽き症候群という現象がある。何か大きな目標や、自分が達成したいと思っていた事を達成した後に、達成感からくる虚無感や喪失感、次に進むべき道がなくなってしまって次の動きに移行出来ない。そういった現象の事だ。

 僕の人生でも何回か燃え尽き症候群になったことがある。1つ目は中学受験を諦めた時、ほぼ物心有る時から中学受験を目標にずっと勉強を続けてきて、諸事情により中学受験を諦めた時に、約1年間勉強というものから遠ざかり遊びまくっていた。ただ、次の高校受験という新たな目標がすぐに現れてきたのでまたすぐに新たな挑戦が始まった。そして大学受験も浪人をした後の数年は完全に受験からの燃え尽き症候群となった。就活をして大手企業に入った後の数年も就活に向けた程の熱量はどこかに消え去っていた。

 そうこういったように人にはある1点で心のエンジンなるものを燃やしまくる時期や、そういった能力がある。そしてこのエンジンは人によって異なり、V8エンジンのよるに常にそれを吹きまくれる人間も世の中にいる。そして僕はそういった人になりたい。

 ホリエモンキンコン西野さんや細美さん等はそういう人達なのだろう。常に何か新しい事をして、人生の命を燃やし、僕が体を変わったら毎日へとへとになりそうだが、それでも心の中のエンジンが常にたぎっているように生きている。

 ただ僕にもそういった時期があったし、それを一瞬でも行っていた時期があるということは、一度でもできたという事は、あとはそれを積み重ねられるかどうかという問題になる。それを何回も何回も、連続的に持続してできればいいだけの話だ。

 例えば会社で仕事をしながら、副業をして、それを伸ばして事業にして、ダブルインカムにして、かつ趣味で日本一にもなる、みたいな事を、毎日全力でエンジンフル稼働で生きて行けば到達可能かも知れない。

 そういう人が積んでいるエンジンというものを最近よく推し量り、そして社内で完全にエンジンが干上がってさびついた大人たちを見るとへきえきとする。V8エンジンを積んで、全てを手に入れようよ、と。

 

 

 

人生における3種の神器

 結論を先に述べると僕は人生の三種の神器は①お金②友達③パートナーだと確信している。このどれかが抜けても不幸だし、この全てを持っている人は漏れなく幸せを掴める。というより幸せになれる土台が完成すると思っている。

 ①お金であるが、これは言うまでもなく生きる上で必要不可欠なもの。何も大金持ちになる必要がある必要はない、むしろ大金持ちになろうとして残りの2つを失っている人の方が多い。せっかくお金をもっても、友達はいないし、彼女はいないし、愛すべき家族もいない、となると不幸な人生になるのは誰でもわかっている周知の事実だろう。もちろんおお金持ちで、信頼できる友達もいて、妻もいて家族もいて、であればもちろん幸せである。僕が言いたいのは最低限度の文化的な金銭が必要と言いたい。それも環境や周りの友人によっても変わってくる。それこそ周りでつるんでいる友人達が皆低所得であれば、そのラインでいいし、周りが皆中流家庭であればそのラインがいい。友人の中での金銭感覚がずれてくると、それは低すぎても高すぎても、異質なものとして嫌悪感を生じさせるからだ。そういう意味ではサラリーマンが社内の同期や人と友人になって公私共に付き合っていくという日本企業のような姿は理想形なのかも知れない。

 ②友人。結構ここはあまり重要視で来ていない人が特に昨今多い気がしている。信頼できる友人、腹を割って話せる友人、朝まで語り合える友人が1人でもいることは、人生において非常に重要な事で、それだけで本当に精神状態が安定する。人間というのはやはり孤独というものが何よりもつらく、精神に負担がかかる。進学校で見られる勉強だけしていればいい、とか、外資系企業勤めの人にありがちな転職ばかりして、周りに真の友人がいない人とか、お金と地位を得れたとしてもその人達は決して全てを手にできている訳でない。安心できる、死ぬまで共に生きれる友人がいるという事はむしろそういった人よりもはるかに人生という点においては上なのだ。

 ③パートナー。ここは割と皆手に入れようと努力をして、うまくいかなかったりして悩む人が多いが、少なくとも皆トライは数多くするところ。つまり、彼女や彼氏という存在だ。当たり前と言えば当たり前だが、やっぱり恋愛や恋というものは人生を豊かにするし、人間というものを色々と学ばさせてくれるもので、精神が安定する関係のものだ。僕の理想としては互いに高めあえてかつ安心できる存在が理想だが、それはやはり友人からは得れない領域というものがある。まるで自分の人生が2倍になったようなあの多幸感は大事である。

 以上、分かり切っていることも多くあるが、それでもこのお金・友人・パートナーという3点を結び付け、それが人生を豊かにする必要条件であるということはあまり皆が気づかない部分ではないだろうか。このどれが欠けてもダメ。1つでもだ。

 進学校に通う学生にも言いたいが、僕らで言うところのお金が学生にとっては勉強だ。勉強しかせずに、友人関係の築き方、彼女の作り方、異性との接し方を学ばない学生時代を過ごし、いい大学に行きいい企業に入っても、人生がうまくいっていないやつは本当に腐る程見てきた。一方で勉強はせずに遊び惚けて、友人や異性との関係構築はうまいが、安定したお金をもっていないと、やっぱりお金で人生つまづき、それが友人関係や異性との関係に亀裂を生む人間もいっぱいいる。

 お金・友人・パートナー全てを手にするものは、その全てのランクが低くても高くても漏れなく幸せになれる。僕はこれを今強く確信していて、後僕に足りないのはパートナーだけだとも理解している。

 

 

 

 

孤独と依存

 どんな人間もある程度は他人に依存しながら生きていくものだと僕は思っている。その依存する先が友人なのか恋人なのかそれは人それぞれだろうが、人間やはり良き理解者というものが必要だ。

 もちろん時に本当の孤独感を感じることはある。それは以前にも述べたが、それでもやはり精神を安定させる為に、自分は一人だと思いたくない為に、また他者と意見を交換して相乗効果を生んで成長していく為に、人は常に誰かを欲し、そしてある程度依存をしていくと思う。

 そこで考えたいのはそういった依存する先の人とどういった関係性を築くのがベストなのかということ。それはその当人と目線だけではなく常に相対するその依存先の目線を考えなければいけない。

 ウイルスですら寄生する先の人間がすぐ死んでしまわないように、自分の寄生先がなくならないように、日々変化しながら生きている。

 さて、本題であるが、人間が他の人間に対して依存する時に気をつけるべき事は、何を君は持っていて、何をその人に与えているか、そしてその人は君に何を与えてくれているかを考えるということだ。

 先に僕は相乗効果という言葉を使ったがまさにこれ。その相手と付き合っていく事で互いに相乗効果がある関係がベストである。

 時に自分の能力値があまりにも低く、でも自己成長がしたいから、周りの友人関係を優秀な人材で固めて、自分も優秀になろうと努力する人間がいる。もちろんそれは一つの方法論としてはありだと思うし、実際周りの環境を変えることにより自分が磨かれることはあるだろうが、その際にその弱者は強者がもっていない何かしらを与えていなければいけない。例えば強者が忘れてしまったハングリー精神とかね。

 そうやって自分の周りの友人関係を身辺整理して観察してみると、きっと他者が自分に与えてくれているものはすぐに思い浮かんでくるだろうが、君が他者に何を与えられているのかという問いに対して、困る友人がその中から出てくるだろう。

 そうそこがポイントであり、そう考えると自分を日々成長させたり、自己研鑽をしなければ周りに何も与えられない人間にどんどんなっていき、いずれは本当の孤独が訪れることとなるだろう。

 もちろん本当の孤独を感じてから急成長し、他人に何かを与えられる人間となり、成長していくという過程もあるだろうが、やはり最初から自分はこの人に何を与えられているかを理解しようとしたり、考えながら関係を築ける方がいいだろう。

 恋人関係であっても、よく男に依存してしまう女性であったり、好きだった彼女に振られて落ち込む男がいるが、そういった人達は一体自分は彼彼女に何を与えらていたのかを考えるべきだ。そしてその与えていると思っていた自分の価値がその人にあっていないから人は離れて行ってしまうのである。

 厳しい事だが世の中多くの事はgive&takeで回っている。社会に出たら厳しいよ、とか、社会ではそんな事は通じない、とかいう慣用句の本当の意味合いは、世界はgive&takeで回っている為、君が何も持たざるものであれば誰からも必要とされないよ、ということを言っているのである。

 

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TRYの結果が悪くてもいい

 トライ&エラー、PDCA、言葉は違えど要するに通常ルーティンに対して何かしらの変化を加え、その結果を次回に踏襲するという成長をする上での大原則の話だ。

 そしてこのトライの部分、何か新しく自分にトライさせるという行為の結果、結構な割合でエラーが生じる、つまり失敗だったというトライになるケースが多い。

 しかしそういったニュートライの結果生じたミスや誤りは、その時点では自分にとってマイナスとなるが、実はそれは将来の自分にとっての大きな財産となるし、~をしたから誤ったという事をしっかりと反省して次に生かすことが出来ればむしろ、ならば今まで行っていたこの慣習や、こういう行動を他でも改めたら、等と自分の人生の糧に生かすことができる。局地的には敗北に見えることが、将来の自分にとっては永続的なプラスとなって帰ってくる。そのリターンははるかに大きいものなのである。

 アカギの名台詞で、後の3巡を買う、というものがある。当初は負け越して、あえてチョンボをしてでも、その瞬間には一時的に負けていても、最終局面の3巡で勝つ為にあえて負けるという姿勢である。

 これは人生というか日々の自己成長の方法論にも当て込める。日々同じ慣習の下でしか自分を成長させないのは将来の君にとってはよくない。あのイチローは毎年自分のバッティングフォームを変え続けた。それは歴代最高記録を出そうが、200本安打を10年連続だそうが、その当時の自分に満足せず、時には打率が落ちてでも、将来の自分の為にあえてバッティングフォームを研究し変化させ続けたのである。

 毎日の生活がもし単調でつまらないと感じていたり、1年が早く過ぎしてまうという様な生き方をしていては、それは将来の自分の成長をさせれていない証拠であり、日々ニュートライをしていないという事を認めることとなる。

 傷ついた人はその分他の人にやさしくなれる、と昔ある慣用句みたいなものがあるが、昔の自分なら文面の通りうけとっていたが今は違う、そう傷ついた人というのはこういったトライをし続けている人間であり、そういった人間が安全圏で常に現状維持をしてトライをしてこなかった人に比べて、人生経験、人間力が劣っているのは必然であり、あらゆることに対してトライをし続けている人間の方が、他者への共感能力が大きい事は言うまでもない。

 クリスティアーノロナウドが、ある日本人の小学生がポルトガル語ロナウドにメッセージを伝える場面で、周りの大人たちが笑っているのに対して、ロナウドはなぜ笑うんだ、彼のポルトガル語は理解できるよ、真顔で言っていたのは、まさしくクリロナが日々自己成長にトライし続け、そういった人間にしか分からない共感をその少年にしたからに他ならない。

 いずれにせよ人から笑われるトライであっても、自分にとって新しい挑戦であれば、それは当人の将来にとってはプラスとなり、結果が悪いものであるかは問題ではないんだよ。

 

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