Tomo

超有名進学校→関西トップ私大→大手企業という絵に描いたようなアラサーリーマン。東京在住。 ありのまま思ったことを、僕の脳みその中を記録として書き留めます。金銭全く興味なし、困ってもない為、ゼロ忖度で、真実を本音だけを記載していきます。コメント等頂ける方は皆大事にします。

自己形成の上でのカルチャー

人が自己形成をしていくに当たっては凡そ学生時代、最長でも大学生までには自己というものは確率していると仮定する。凡そ22歳だろうか。それまでの人生経験が人生哲学となり、様々な場面で個人の見解として持ち出されてくるであろうその個人の思想はそれまでの受けてきた教育・環境・カルチャーに起因するものだろう。

特にこのカルチャーの面に関して考えることが有る。僕が生きた時代のカルチャーで言うと、youtubeは当然なく、中学まではもっぱら紙面の漫画、そしてアニメ、音楽もサブスクではないツタヤで借りてきたCDをIPODに落とす等が主流だった。

人格を形成する上でのカルチャーの持つ意味は大きいように僕は思う。子供の頃から絵本やアニメ等で刷り込まれるように教え込まれる、正義が勝ち悪が滅ぶ、また人に良い事をする人が主人公であること、仲間を大事にすることがいい事とする主人公、自分を高め続け悪と戦う主人公、そういった理想の主人公像が刷り込まれ、その人の人格形成の一部となる。僕らの時代は特にドラゴンボールが圧倒的だった、その中に登場するゴクウはやはり僕に影響を与えている。個人の能力を高める、あのフリーザ戦の前に宇宙船で筋トレに励むゴクウ、セル戦の前の精神と時の部屋で鍛えるゴクウ、そういった自分を鍛錬するというマインドセットがしっかりとそこで形成された。また、仲間思いであること、人情を大切にすること、というのもワンピースのルフィやその他の漫画やアニメから影響されたことも大きいだろうし、高校の時に出会ったELLEGARDENの細美さんからは男のかっこよさを学んだ。

そう人格形成をする上で、こういったアニメ・漫画・音楽・ドラマ・映画・本というカルチャーは非常に重要な意味がある。その為、1つのその作品に対しい大きな労力を費やし、熟慮を重ねたプロたちの作品のみしか見ることができなかった僕たちの世代と、YOUTUBEという消費されるだけの数分の動画を見てきた子供たち(もちろんそれだけを見ている訳ではないだろうが僕らの世代よりはそれに費やす時間数が多いであろう世代)

では倫理観に乖離がでてくるのは至極当然とも思える。

要するに、ただ単に消費され内容のない素人が作成するコンテンツを見て発生する自己形成というものは、一体どういったものになるのだろう。ということ。

 

 

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