Tomo

超有名進学校→関西トップ私大→大手企業という絵に描いたようなアラサーリーマン。東京在住。 ありのまま思ったことを、僕の脳みその中を記録として書き留めます。金銭全く興味なし、困ってもない為、ゼロ忖度で、真実を本音だけを記載していきます。コメント等頂ける方は皆大事にします。

質と量

僕は最近ルーティンを作り、とりあえず1か月は続けてみるという実験をしている。

理由は色々あるが、まあ何事もやってみた人と想像だけで自己完結した人では、経験値がかわってくるので、やってみる。

そこで今日思うのは質と量に関してだ。

例えば毎日ブログを書こうと決意して、毎日1件を無理くりにでも内容を考え作ってみたとしよう。ルーティンにしなければ、何かよっぽどの事がある時に書く。よって内容は濃く、質が高いものになるだろう。ただ一方毎日続けなければならない、またタイムリミットが決まっている中での内容は、もしかしたら質はそれと比べると劣るかも知れない。ただ量という観点からは上回る。

質をとるか、量をとるか、もしかしたら大量に作ればその中には、例えば10件に1件は質が高いものが生まれ、ならすと以前と同じ質で、かつ大量に記事を残せるかもしれない。

つまり、量を重んじる場合は、自律能力は高める必要がある。この記事は質が劣っていないか、また記事の質を比べられる確かな目線を持ち合わせる必要がある。

また、こんなことを考えていると、Youtubeの世界や音楽業界のことも頭によぎった。Youtubeは毎日投稿する人もいれば、そうでない人もいる。これには検索性の話が付随する。仮にそこに大量に並ぶコンテンツがある時、視聴者はその中から良質な作品を選択しなければならない。手間をかけずに大量にコンテンツを出すと、全てが良質とはならないだろうから、それは視聴者側の時間を奪うし、駄作を手に取られ、判断され評価されてしまうかも。

僕はよくSoundcloudApple musicで音楽をdigるが、アーティストによっては曲数だけ多くて、質の悪い作品の中に良作を埋れさせている者がいる。

つまりだ、作品として世に出す前提であれば、数を絞り、目に留まった人が何を手にとっても良作とした方がいい。アーティストは発表作品に関しては厳選して絞って、質が高いものだけを世に出すべきだ。

となると毎日ブログを書くのは書くが、下書きにしておいて、納得のいく質のものが出来たら、投稿するというのがベストだろう。