Tomo

超有名進学校→関西トップ私大→大手企業という絵に描いたようなアラサーリーマン。東京在住。 ありのまま思ったことを、僕の脳みその中を記録として書き留めます。金銭全く興味なし、困ってもない為、ゼロ忖度で、真実を本音だけを記載していきます。コメント等頂ける方は皆大事にします。

対面じゃないコミュニケーションのあり方

人同士のコミュニケーション、会話、メール、ライン、SNS、色々と手段はあるが、対面でのやり取りではないコミュニケーションの取り方には注意が必要になる。

例えば社内で、何か議論を交わす必要がある問題がありそれをメールでやり取りをする。議論をする必要がある問題なのだから必然的に答えに向かう過程で意見が分かれることがある。その場合、相手を威圧、もしくは多少の怒りを伴ったメールが飛び交う。すると雪だるま式に喧嘩みたいなやり取りになる。

こういった例は本当に多い。特にこの対面でないコミュニケーションにおいて、怒りの感情、大きく言うと負の感情、がのった文字というのは対面とは違う異質な力をもつ。

対面での議論、もしくは言い合いは、お互いの言葉のトーン、表情、そして物理的な距離感を感じられる。恐らく対面で喧嘩みたいになれば、その場から離れるという手段をとったり、それこそ拳で分かり合うみたいなこともあり得るかも知れない。また議論が白熱したらアイスブレイクをしてちょっとお互いにエキサイトしすぎたねと慰め合うかも。対面だとやはり肉体的にも疲れるし、まあがっつり1時間、2時間もめればオチを見つけたくなる。

一方、文字だけのやり取りの場合、その負の感情を伴う文字がずっとそこに残る。文字を見返してまたむかついたり、相手の顔を自由に想像できるので、対面の場合より悪い印象を伴って受け取ることが多い。そして振り上げた拳、意見をどこに着地させるのかが見えなくなる。決着させるのには、文字だけだと相当つらい。それ以外のコミュニケーションでの再戦になることがほとんどになるだろう。

つまり、対面以外のコミュニケーションにおいて、負の感情が乗った言葉を相手にぶつけることは非常に危ないということ。もし議論をする場合もやはり対面でのやり取りが好ましい。

何かを決めるために建設的に議論をしようとしたビジネスマン同士の話し合いですらこれだ。ましてや建設的な議論も前提にはなく、単なる誹謗中傷的な文字でのやり取りでの問題解決などあり得ない。ということは他人への誹謗中傷を文字化して相手にぶつけることは何の意味もない。それをすることでの何かしらの問題解決はあり得ない。仮に悪いことをした人がいて、その人に正しいことを教える、相手の価値観を変える、と思ったとしても文字で、ましてや悪口で、それが教育的指導になるわけがないだろう。

文字だけでのコミュニケーションが圧倒的に増えた今、こういったことを念頭にビジネス上、プライベート上でのやり取りは考えなければならない。

swandivemori

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