言語化することは重要
このようにブログという体で普段頭に思っていることを言語化するのは有用であることに気が付いた為に続けようと思う。これはまるでハリーポッターにおける憂いの篩だ。
何が有用なのかというと、それは僕のアイデンティティでもある人生訓や社会に対する個人的な見解等を友人と語り合う時に非常にまとまった形で話合うことができるからだ。
僕は友人と話をする時、居酒屋で飲みに行く時、何かしらの会話のトピックを持っていく。また、実際そこから話が膨らむこともあるが、話が終わり次のトピックに移る時に次に何について話すかという時に、このようにブログという形でストックしておくと、またすぐに次の話題に振ることができる。
いわば話題のネタ帳という意味を持っている。
思っていることを言語化することは話に含蓄を持たせる、ひいては話の引き出しが多い人になることができる手段の1つになる。
また、普段頭で思考をしている時よりも、文字をタイピングする時間、つまり頭での思考から文字化されるこのタイムラグの間に、客観的な自分が現れ、その思考が文字化するに値するのか?もしくは間違っていることを言っているのではないか?こういった方が正しいのではないか?という監視を行っているようにも感じている。
その為、思考がより研磨され、頭の中で考えていた答えよりもより現実的な意見となりまとまりもする。
詰まる所、思考を言語化することは中身を鍛えることにつながるということ。