他者と比較をするということ
自分と他者とを比較するということは、例えばこんなことが起きる。子供の時であれば〜君より足が遅い、頭が悪い、身長が低い、また思春期を迎えると〜君よりかっこ悪い、ダサい、部活で補欠、偏差値が低い、また大人になったら、〜より年収が低い、〜が先に子供ができて結婚している、〜の方が可愛い嫁がいる、〜の方が魅力的だから女をとられる、比較をしたがる人間によって飲み屋で職場でマウントをとられる、とか。
そうこのように他者と比較をすると、あるいは他者との比較を軸に世界をみると、負けた側には負の感情が残る。ただこれは、マイナスなだけではなく、なにくそと立ち上がるプラスの力にもなる。要は他者との比較をするなら絶対に自分に都合よくとってプラスエネルギーに変える必要がある。そのまま受け取るだけではマイナスだけが残る、そんなことなら比較する意味はないしもし何も今後のプラスに捉えられそうになければ忘れた方がいい。
一方で比較論以外にも自分を高める方法もあり、それは自分が理想とする姿、あるいは目標値を定めて努力をして達成していくことである。例えばイチローは数々の歴史的数字を重ねたが、その度に会見で、数字には興味がない、とし他者と比較をした数値よりも自分が決め達成したいというあるべき姿を追い求めて高みに至った。
つまりだ、このあい反する自己の能力値の底上げ方法、エネルギーを高める方法論をハイブリッドで活かせれば最強じゃないか?
まず、自分の理想とする姿を設定する、その上で日々自分より高みにいる人をみて悔しがり、その悔しい気持ちを糧に理想の姿を目指して努力をし続けるのだ。
具体例を挙げよう、仲のいい同僚が出世し美人な嫁と結婚し子供を産んだ。→美人な嫁、悔しい、しかも子供もいるのか、人生におけるスピード全てが負けている。悔しい、年収も負けた、何も勝てない。→じゃあ俺はあいつよりも高収入になりあいつよりも美人な嫁をもち、あいつより可愛い子供を産むぞ!➕俺がたどり着きたい理想はエミネムだ。
このように身の回りで起きる現象は全て、自分の人生にとって前に進む努力をさせてくれる原動力にする為の糧として捉える。