新型コロナウイルスから考える国と国民
新型コロナウイルスから考えることはたくさんある。最近ニュースを見ていてあることを考えていた。これだけ世間で言われているのにGW中に沖縄に行く人が数万にもいる。これは是なのか非なのか。
日本という国は民主主義国家で1党独裁国家ではない。もし北朝鮮や中国であれば、言論は統制され、行動は規制されまずそんな行動はとれなかっただろう。一方日本では別に新型コロナウイルスなんてただの風邪、政府はいいすぎ、民放もいいすぎ、という意見を持ってそれをホリエモンや武田先生のように発言してもよいし、別に沖縄に遊びに行くことは物理的に可能であり、撃たれたり、捕まることはない。
ただ考えたのは、民主主義国家の中で、日本という自分が生まれ育った愛すべき国の中で、このように多数派の意見ではない意見の方を独自の指針として行動することはどういう意味を持つのか?ということ。
僕らは選挙という権利の中で人を選び、その人達のなかでトップとなった安部さんが日本という国を考え行動し、発言し、法律を作り、僕らを統制している。その方法は独裁的ではなく僕らが選んだ人選の結果選ばれた人の意見である。また、TVという媒体を通して、ある種洗脳に近い形にはなるが、多数の日本国民が新型コロナウイルスは怖く、外出自粛を正とする意見を持っている状況である。沖縄に遊びに行く人たちが考える人生指針は圧倒的に民主的な多数決という見地からは負けた意見。本質的にそれが合っているか間違っているかは別にして。
結論としては別に何を発言してもいいし、何を人生訓として生きてもいいと思う。ただ多数の人が迷惑と考え、また自分以外が違うと考えている意見を行動として振る舞う、政治的なデモ活動としてでもなくただの個人の娯楽として個人の欲望を満たす為に行うこと、は非であり民主国家としてマイナス因子である。